とても久しぶりに仕事の後、映画館へ向かいました。
ここ暫くは20時を過ぎて、どこかに滞留することは出来ないという認識でしたので、本当に映画が観れるのかしらと心配でした。
エレベーターとエスカレーターを乗り継いで、予約からチケットを発券、数人が会場前に待っていたので安心しました。
マルタン・マルジェラのブランドイメージはどんな感じでしょうか?
ブランドタグが4つのステッチ?
白くて美術館のような店舗?
ファッションショーは大抵、顔を覆ったモデル登場?
足袋型のブーツ?
どれもマルジェラのクリエイションのひとつですが、どこか抽象的。
それはマルジェラ自身が表立って出ていないからかもしれません。取材NG、撮影不可、どこまでもデザイナー本人は出てきません。
映画にはマルジェラの手がたくさん登場します。そして落ち着いていて心地良い声。終始、隣にいて話を聞いたり質問をしたり身近に感じますが、姿は出て来ません。
BOXを取り出してはその中身に纏わるストーリーが展開していきます。
またメゾンのプレスやクリエイター、ライターやブランドを取り囲む人々が登場し、ストーリーを盛り立てます。
マルジェラがアイディアや発想を語り洋服という形にすると、周囲が世の中向きに翻訳するような感じです。
もちろんファッションショーもあります。
初めてショーから、パリコレクションでのプレタ、オートクチュールと過密なスケジュールは他のメゾンと変わりありません。
しかし追いつめられるような気迫やストレスは感じず、プレッシャーも映画からは読み取れない、淡々とクリエイションを発表していく様子が伺えます。
これは他のメゾンとは違っていて、ある意味、健全な状況なのかなとも思えます。描かれてはいませんが、コレクションブランドは一人では出来ませんから、無論、サポートする側が優秀であることには違い無いと思います。
何故これほどにマルジェラのクリエイションが指示されるのか。映画を観る前、映画中、映画後と考え続けました。
それは形あるものだけれど抽象的であり、その抽象的なものが人の生活に入り具現化。時間と共にその人に馴染む。
一見当たり前で普通であることを思考が何周もして辿り着いたら特別な普通だったと気付かされる。
その思考と追求のプロセス、探究心に魅了されているのかもしれないと思った映画でした。ご興味ある方は↓