MODE SURREAL 奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリズム

東京都庭園美術館で行われている奇想のモード展に行ってきました。

現在は時間予約しての来館ですが、人数制限している分、一つ一つの作品をゆっくり観る事が出来ました。

庭園美術館は明治時代にアールデコ様式で建築された旧朝香宮邸です。

展示作品とその空間も一緒に楽しめますし、各部屋xテーマごと(Chapter1〜8)とイメージにあった展示をしているのも伺えます。

展覧会は撮影禁止ですが、Chapter9の「ハイブリッドとモード」では撮ることが出来ます。

写真は舘鼻則孝さんの「太郎へのオマージュ」アーティスト岡本太郎さんのオブジェをイメージさせられます。

立体作品に見えますが、代表作のヒールレスシューズのシリーズ。靴です。

下は串野真也さんの作品。

飛べそうな靴ですね。

脳裏に焼き付いているのは、玉虫の羽を無数に使用したヤン・ファーブルの甲胄(カラー)。気味悪くも見えるし、昆虫の自然の美しさも見えるし、襟の形となった全体感は装う事もできるし、アートとも言えるし、言葉で表すには難しい感覚でした。

別空間に1作品のみ展示。入口で簡易メガネを貰い、メガネを通して鑑賞します。光る蚕の糸で出来たドレスはANOTHER FARMの作品。

新館Chapter9に続くChapter8は、「和の奇想」ー帯留と花魁の装い

のタイトルで着物は参考、椎茸や小豆など食モチーフや百足や蝙蝠など帯留めでは珍しいものが展示してありました。大正時代のものが多く興味深かったです。

全体を通して身に付ける身に纏うものでは有りますが、どの作品も2022年現在の日常からは遠く、でも未だ身近なアイテムであり、とても考えさせられました。

ファッション、アート、建築、デザイン、装飾の歴史、文化、ジェンダー等、様々なジャンルの方が見て良かったと思える展覧会だと思います。

4月10日まで。

公式HP

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マルジェラが語る映画

とても久しぶりに仕事の後、映画館へ向かいました。

ここ暫くは20時を過ぎて、どこかに滞留することは出来ないという認識でしたので、本当に映画が観れるのかしらと心配でした。

エレベーターとエスカレーターを乗り継いで、予約からチケットを発券、数人が会場前に待っていたので安心しました。

マルタン・マルジェラのブランドイメージはどんな感じでしょうか?

ブランドタグが4つのステッチ?

白くて美術館のような店舗?

ファッションショーは大抵、顔を覆ったモデル登場?

足袋型のブーツ?

どれもマルジェラのクリエイションのひとつですが、どこか抽象的。

それはマルジェラ自身が表立って出ていないからかもしれません。取材NG、撮影不可、どこまでもデザイナー本人は出てきません。

映画にはマルジェラの手がたくさん登場します。そして落ち着いていて心地良い声。終始、隣にいて話を聞いたり質問をしたり身近に感じますが、姿は出て来ません。

BOXを取り出してはその中身に纏わるストーリーが展開していきます。

またメゾンのプレスやクリエイター、ライターやブランドを取り囲む人々が登場し、ストーリーを盛り立てます。

マルジェラがアイディアや発想を語り洋服という形にすると、周囲が世の中向きに翻訳するような感じです。

もちろんファッションショーもあります。

初めてショーから、パリコレクションでのプレタ、オートクチュールと過密なスケジュールは他のメゾンと変わりありません。

しかし追いつめられるような気迫やストレスは感じず、プレッシャーも映画からは読み取れない、淡々とクリエイションを発表していく様子が伺えます。

これは他のメゾンとは違っていて、ある意味、健全な状況なのかなとも思えます。描かれてはいませんが、コレクションブランドは一人では出来ませんから、無論、サポートする側が優秀であることには違い無いと思います。

映画パンフレットより

何故これほどにマルジェラのクリエイションが指示されるのか。映画を観る前、映画中、映画後と考え続けました。

それは形あるものだけれど抽象的であり、その抽象的なものが人の生活に入り具現化。時間と共にその人に馴染む。

一見当たり前で普通であることを思考が何周もして辿り着いたら特別な普通だったと気付かされる。

その思考と追求のプロセス、探究心に魅了されているのかもしれないと思った映画でした。ご興味ある方は↓

公式HP

映画館サイト

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ファッションインジャパン1945-2020ー流行と社会

マスクで蒸れる二度目の夏ですね。

国立新美術館で開催中のファッションインジャパンに行って来ました。

美術館も入り口、出口の一箇所化。手の消毒に体温確認も有りました。

お天気は青空に恵まれました。

ついつい入場前から見入ってしまうガラスの茶室。夏は涼やかに見えます。冷たい飲み物もいただきたい所ですが、作品なので眺めるのみ。

展示は年代ごとにまとめられていました。懐かしいと思ったり、改めてデザイナーさんの事を知ったり、頭の中では時代が前後交差しながら、答えのない答えを探しているようでした。

生地の美しさだったりディテールの面白さだったり、シルエットを見つめたり、途中はショー映像ありTVのCMがあったり、制服や舞台の衣装もあり見応えはたっぷり。月曜日の夜にやっていた「ファッション通信」のビデオが流れていて、あの大きなサングラスに張りのあるお声の大内 順子さんの解説を観て、自分はここから多くを学んだなと思ったり。(本当に毎週楽しみにしていた番組でした)

密にならないよう入場制限をしていて、撮影可能な箇所は案内がありました。

かなり最新の作品も。ファッション学生が数名で学びに来ている様子も伺えました。授業だけでなくファッション一色の空間から得られるものは大きいと思います。

テントが洋服になるデザイン。

2000年代初めにフセイン・チャラヤンのファッションショーでソファカバーからワンピースに変身したのが衝撃的だったなと思い出しました。

今の10〜20代の方がどのように感じるのかも興味があり、会場では耳も澄ましながら歩いてました。

日本は着物から始まり独自の進化を続けて来たという流れを見ることができ、改めてファッションの歴史を認識しました。

お洋服好きさんにも歴史を見たい方も、日本ブランド復習にもなります。

写真は全て第8章「未来へ」から。撮影不可のところが多かったので、あえてこちらの作品のデザイナーさんは記載しないでおきます。

会場を出たところにあった生地が土に還る展示。循環していくことが当たり前の今日。さらなる進化も楽しみです。

8月23日まで国立新美術館にて。

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映画Dris Van Notten

この美しい世界観の着想源は?

ドリス・ヴァン・ノッテンのショーを見る度、溜息と共に首をかしげておりました。

上映中に見逃してしまったドリス・ヴァン・ノッテンのドキュメンタリー「ファブリックと花を愛する男」。恵比寿のガーデンプレイスの中庭、真夏の夜、ピクニックシネマにて...やっと観ました!

場所柄かファッション・ピープルも居て、目で追いたくなるお洒落な方が。

こちらのガーデンピクニックは7月26日~8月25日週末にかけて Kino Iglu(キノ・イグルー)プロデュースで開催。無料で観れるとあって人気で座れず柵の縁に腰掛けましたが、心地よい風が吹いていて終始、快適でした。(あとから判りましたが送風機のお陰でした)。

各々の食べ物飲み物を持ち寄り、リラックスムードの中、映画がスタート。

ドリス・ヴァン・ノッテンはベルギーアントワープシックスの一人。

取材嫌い、職人気質、表に出るのを嫌うデザイナー。

そんなドリスはやはり独特のムードを持ち、生地を並べては次のコレクションに向けて選別。モデルをトルソー替わりにコラージュするように布当てていき、生地遊び。プライベートもパートナーの彼がぴったりと側に付きます。

愛犬も登場しますが、きっとこんなハードワーカーには付き合いきれないでしょう...寝ているシーンがフッと笑わされました。

映画ではメンズのコレクションがフォーカス。フォトシューティングよりもやはり完成に至るまでの生地選びや分量計算、シルエット等、プロセスが印象的。あるコレクションではテーマを決めてプリント生地を作ったり、ファブリックに至るまでの工程も出てきます。

自宅を使ったりスタジオだったり広いスペースに山ほどの布地を並べて、じっくりと見ていきます。

一つのコレクションが終われば、また次のコレクションとファッション業界にいると、「休み」という単語を忘れます。映画でもメンズレディース共に発表しているシーズンがあり、やはり多忙極まりない状態がありましたが、それでもプライベートのドリスに焦点を当てています。(気難しいデザイナーを等身大で自然に撮る、難しい撮影だったそうです。)

言語は英語ですが、終始落ち着いた空気感を纏っていて、きっとその雄大さはあの広大で美しい庭から培っているのだと思いました。またドリスの作る洋服から放つ独特の色は、彼にとっては身近な自然美であることが解りました。

布地は植物のモチーフ柄だったりとても魅力的。映画中、素敵な生地!と思っているとまたその上に生地を重ねたり、ここにはこの生地を差し込もうと試行錯誤しているシーンが有りましたが、私的には1枚でも素敵な布を何とも贅沢使い...とよだれ状態でありました。

映画の最後はデザイナー念願のオペラ座で行った2016-17年秋冬のメンズが登場しますが、より世界観の解りやすい同年秋冬と2017年春夏レディースのショーを貼っておきます。

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映画アレキサンダー・マックイーン

映画McQueen モードの反逆児を観ました。

画像は公式サイトより

心にとても重い…映画でした。

服作りの強い情熱、天才と言われる才能
それを支えるアトリエのメンバ-
一つのブランドに掛かる資金
コレクションに振り回されるスケジュール
契約ブランドやカンパニーの意向

プレッシャーに押しつぶされそうになる日々。

ファッションの世界に入り駆け出しの10代から自殺する40歳までを追ったデザイナー アレキサンダー・マックィーンのドキュメンタリー。

一つ一つのショーに込められたテーマが重苦しく、何よりも服を通しての表現力が物凄い。
テーマに対して制作、コレクション発表、PRにセールスとアトリエを取り巻く人々はさぞ大変だったと共に、経験した事がない仕事の連続だったのだろうなと想像出来ます。

生い立ちから見て強味は、資金を考えられるデザイナーであった事。ロンドンのイーストエンド出身、裕福ではない家庭で育ち、セントマーチン大学の授業料も叔母さんに払って貰ったとのエピソードも。資金使徒についてはその後ビジネス上の事件もありますが、基本は自身のブランドを支える守る為にしっかり調達していたのだと思います。(のちに遺産を奨学金制度に寄付しています)

セントマーチンユニバーシティではMA(マスターコース)卒業コレクションについて「彼は資金調達、制作、発表まで何でも全て自分でやり遂げたのよ」。きっかけは与えたけど彼自身の実力よと言い切っている潔い教育者も登場します。

また修行時代にイタリアのロメオ・ジリにジャケットについて何度もダメ出しを受け、裏地を外したら見えるところに「クソ野郎」と刺繍したエピソードや、失業保険で生地を買ってショーをやり、インタビューされても顔出しNG(失業保険は失業者に払われる為、働いている事がバレないように)だったり、愛犬に会えなくて寂しいようと子供のような一面まで知ることが出来ました。

(ショー終了の挨拶でランウェイでお尻を出したり、悪ガキイメージを持ってましたが、その印象は間違ってなかったようです。)

映画の中でも時折、登場するお母さん。かけがいのない愛情があったようです。6人兄弟の末っ子として育ったからかもしれません。

ただ次第に世の中に認められ多忙になり自分を見失って行き、ドラッグに走ったり(この時代は違法、現在は合法)、ドラッグ所持で捕まったモデル、ケイト・モスを映像で登場させたりしたそれは、創造性に才能は揺るがなかったけれども、彼の精神を支えるものは他には無かったのだろうかと考えさせられます。

さらりと最後の方にHIV感染のサブタイトルが入ったが、そうだったのかと痩せたマックイーンを見て涙が出て来ました。

ただインタビューで50人のスタッフやその家族、スタッフの中にはローンがあったりするからと年間10以上のコレクションといえでもやらなくては!とアトリエを支える経営者としての責任も伺えます。そして自分は「孤独だ」と結び、その重圧は逃げ場のない相当なものだったと思います。

マイケル・ナイマンの音楽が彼の心情とシンクロするかのように挿入されていて、映画を彩ります。

彼の心の闇をファッションを通して終始魅せられた映画でした。

… 暗黒の中に見える美 …

… 美の中に見える暗黒 …

個人的には2001年のVossのショーが好きですが、2009年(2010年春夏)、リー・アレキサンダー・マックイーンによる最後のコレクションを貼っておきます。

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